日々がハレノヒ

禅問答な生き方をしていこうと思っています。これからの人生をどう生きようかと悩める大人と、幸せってなに?について語り合えたらと思います。

君の名は という映画を見て

君の名はを見たのは2016年。
その時は観る前のイメージがただ「評判が良かったし見てみるか」と、
当時バーテンダーとして働いていたことからいわゆるネタづくり的なきっかけで映画館に行きました。
映画の序盤の感想は、まさにいわゆるアニメ映画。
可愛い女の子の寝起きから始まって、キャッチーなオープニング音楽に乗せて
オーソドックスな入れ替わりのテーマの映画なのかなと。
でも、当時本当に人気映画だったし、なんとなく目が離せなかった何かがあったのかもしれない。
嫌悪感はまったくなく、ワクワクしながら見ていられていました。

雰囲気がガラッと変わったのは、
何回めかのアラーム音のシーン。
今までは半分夢の中と思っていたからこそのおふざけや軽いノリのようなテンポで進んでいた話が
ある時から真剣な、深刻なトーンのみつはになる。
瀧くんのデートを本心を押し殺して応援する健気な思春期の女の子。
劇的な彗星が落ちるシーンを挟んだときから
物語が進み、日本人の心をくすぐりながらも自分の半身を、潜在意識が求めて止まない片割れを探し始めてからは
もう目が離せなかった。

今思えば、序盤からなんとなく目が離せなかった理由も明確にあった。
絵がとても綺麗。繊細。細かいところまでよく描かれている。
最後まで見て気付く、至る所に張り巡らされた伏線の数々。
人は無意識に目から入る情報を、とても重要視しているんだなと思う。
まんまと新海監督の思惑がはまった瞬間だった。
もっと言えば、緻密に計算され尽くしていた映画だった。
この映画を観てからだと思う。私は映画にメッセージ性を感じるようになった。
むしろ、メッセージがない映画なんてないのかもしれない。
気付くのは遅かったかもしれないけど、90年代のアメリカ映画はあまり前面に出していなかったように思う。
そう考えると、宮崎映画と言われるジブリ作品は、メッセージに特化した作品ばかりだったな。
日本のアニメ映画がもてはやされるのは、そういう意味があったのかと、
本当にこの映画を観てから思うようになった。

話が大幅に逸れたけど、これは新海誠監督の言いたいことを明確に読み解く上でとても大切なことなので触れました。
キャッチーなものを通して惹きつけて、本当に伝えたいことを伝える。
表現者とはこうあるものなんだろう。

ティアマト彗星が1200年前にも糸守に落ちる。
糸守。糸を守る。組紐。糸。次元のずれ、ひずみ。
ヒモ理論などという学説もある。
3年前の過去に戻り現在を変える、という陳腐なものではなく、
次元の狭間で過去と関わり、絡んだ糸を解こうとする。
彗星。宇宙との関わり。量子力学や分子学をしっかり絡める。

本当に監督が言いたかったのは、これなのかもしれない。
恋愛や入れ替わりという、人が親しみやすいトリガーを仕掛けて
より多くの日本人に伝えたかったのはこのことなのかもしれない。

事実、本当に多くの人に、より感受性の強い人たちに受け入れられ、
巧妙に隠された伏線を回収するたびに真実を、メッセージを読み取る。
難しそうになるとしっかりわかりやすい描写を入れて脳みそを整理する時間をくれる。
(後日、伏線についての記事を書きます)

妄想はこれくらいにして、この映画が私たちにもたらしてくれたものはとても大きかったです。
映画は楽しむものってだけじゃなく、伝えたいことを表現するもの。
感動するだけじゃなく、生き方を見直したくなるようなメッセージを受け取るもの。

この映画の7年前に、日本は大災害に見舞われて、それまでの安心しきった日常はまやかしだと日本中が思った。
嘘のような大きな波に、それまで当たり前だった命がたくさん、本当にたくさん飲み込まれていった様は
それまで見たことも考えたこともない容赦ない事実だった。

忘れちゃいけないものが確かにある。
糸守にティアマト彗星が1200年周期で落ちることを
たびたび人類は忘れて、
そのたびに繰り返している物語があって、
それは糸守や東日本大震災だけじゃなく、
人類が忘れちゃいけない地球や宇宙との真の関わりがあることを
教えてくれているのだとしたら。
いや、ほぼ確実にあるはず。
地球は人間だけのものじゃなく、人間の好きなようにしてきたツケがそろそろ回ってきた今だからこそ、
このことを真剣に、絵空事だと思わず考えなきゃいけないんだと思う。

自分、自分の家族、友達、地元だけじゃなく
日本、世界、地球、宇宙の範囲で物事を見ていきたい。
恋愛や美味しいもの、欲しいものや夢はまやかし。
平和な日本と思っていても、世界から見た日本は違う。
虎視眈々と豊かな日本を狙う、シビアに生きている世界中の人たち。
コロナ禍が私たちに教えてくれたものはたくさんある。
現実を見ろ。自分をしっかり見つけろ。仕事やお金に追われる人生が本当に大切か。
幸せってなんだろう。幸せになりたいって思った時に
思い浮かべるものはなんだろう。

人は自分を忘れちゃいけないんだと教えてくれた。
宇宙から見た自分は、容姿が綺麗とか勉強ができるとかお金をたくさん持っているとか、
そんなものよりも等身大の自分の大きさしか見えないよね。
そういうことなんだろうね。

どんどん地球が「目を覚ませ」って私たちに教えてくれている。
それを、テレビの中しか見ていない人たちに教えてくれている。
地震が、コロナが、新海監督が。

私はこの映画を観た頃から、何かに気付いたのだと思う。
今の私は自分を見つけられたのだ。
ただミーハーに見えたこの映画が、私に
「自分を見つけて」とメッセージをくれました。
たぶん、こう思っているのは私だけじゃないんでしょう。
だからこそ、この映画はロングランヒットを記録したんでしょう。
そのくらい、日本人の心を揺さぶったのかと思うと
心から感心すると同時に、私も人の役にたつことをしたい。
そう思うようになりました。
模索し続けていましたが、スズメの戸締まりを観て
やっと自分の心が見えてきた気がします。

最後に、やはり映画のところどころで
ちゃんと日常を思い出させるシーンを入れるというテクニックは
さすがだと思います。

本当のラスト付近で、テッシーとさやかがブライダルの話をしている時のたわいもない会話。
パンケーキに憧れる田舎の女の子。
自転車に乗るシーン。
電車の窓から見える景色。
宮水神社の神事を行う時の、同級生からの嘲笑。
これが本当にバランスよく散りばめられていました。

スズメの戸締まりのお話はまた改めて書きますが、
君の名はと共通するのはやっぱり
あまりにもリアルな日常と
突如起こる自然の猛威という事実との対比が素晴らしいです。
フワフワしているところに容赦なく降りかかる災い。
でも果たして災いなのか神の思し召しなのか。
でも新海監督は、あくまで抗う人間の目線で描いてくれるからこそ
心に響いて結果的に地球と真剣に向き合うことができることを狙っているのかもしれない。

なんの罪もない、という言葉にいつも違和感がある私なので
ついこのようなことを書いてしまうけど、
本当は私だって人間らしい欲や幸せを目指す心がある。
それでこそ人間に生まれた意味かとも思う。
そこから目を背けて、神の目線を想像してもそれは嘘でしかない。
人間は人間らしくいないと生まれた意味がない。

これは私の持論です。