日々がハレノヒ

禅問答な生き方をしていこうと思っています。これからの人生をどう生きようかと悩める大人と、幸せってなに?について語り合えたらと思います。

自分自身に勝つこと について

自分自身に勝つこと(ダンマパダ103)

 

「戦場において
100万人に勝ったとしても、
ただ1つの自分自身に勝つことの
できる者こそが、最高の勝者である。」

「自分自身に勝つこと」を文字にすると、
例えば自分自身の欲に打ち勝ってタバコを止める とか
自分自身のだらしなさを知って奮い立って頑張ってみる とか
ダイエットの延長線上のようなイメージがある。

我慢をして自分の理想の自分を手に入れる、すなわち自分自身に勝つ。
それももちろん、自分をいったん擬人化し対峙することですが、
まず自分自身というものが今、自覚している姿なのかどうかということです。

今流行りの職業「YouTuber」のヒカルさんという人がいて、
この方は若くして手に入れられるすべてのものをしっかり手にしている数少ない人であり
表現者なのでわかりやすくサンプルにできるので今回登場していただこうと思う。

この方、お金を稼ぐことよりも世の中に影響を与える人になりたいと常々言っているそうです。
自分をカリスマと名乗り、カリスマとして生きてきて、本当にカリスマになっている。
その姿や言動は、まさにカリスマたるもの。
ヒカルさんが言うことなすこと、そのすべてがニュースになり、若い子たちが虜になっています。
でももし、自分がカリスマになりたいという夢を持っているとして
さあ何を始めますか?

カリスマの定義を調べると
「超人間的・非日常的な、資質・能力。英雄・預言者・教祖などに見られる、民衆をひきつけ心酔させる力。」とあります。
超人間的、非日常的な資質、能力、人を惹きつけて心酔させる力とあるように
普通に生きているだけでは備わっていない、むしろ普通の人間ではなしえないことがカリスマたるものなんだと思います。
でも、これは「ヒカルさんだからでしょ」というと、自分自身に勝つことにつながりません。
ヒカルさんは私たちと同じ人間です。
私たちと同じように家族もいれば、特別に何か超能力を持って生まれてきたわけではないのです。
彼は日々、もちろん今も、カリスマになると言っていたそうです。
自分はカリスマになると自分に言い聞かせて、カリスマに必要なものは何かをカリスマとして探し、
カリスマになるべくしてなったのだと思います。
元々自分がカリスマの素質があるとわかっていたのかもしれません。
自分を俯瞰で見て、自分には何か人と違うものがあると気付いていたのでしょう。
自分に自信を持つことがまずカリスマとしての光の源でしょうから、
自分が自信を保っていられる周囲の人間の見極めも素晴らしかった。
お兄さんがいなかったらもしかすると今のヒカルさんはいなかったのかもしれません。
普通に生きてきたらこうなるだろうなっていう等身大のモデルケースのお兄さんがすぐそばにいてくれたからこそ、
自分を客観視しやすく、カリスマの姿を明確に見える化できたのかもしれませんね。
彼はまさに「自分自身に勝った」のでしょう。

長々と書きましたが、一番言いたいことは、
「人は自分に暗示をかけて自分自身を変えることができる」ということです。

スピリチュアル界隈でバシャールという人がいますね。
彼が真実を言っているかどうかは別として、
自分がワクワクするものを大切にしなさいという、有名な言葉があります。
私はこの言葉を「自分の心の声に耳を澄ませ、自分自身を見つけなさい」と解釈しています。
すなわちそもそも自分自身に勝つということを、我慢することだと思っていません。
我慢をすると、我慢したものをものすごく欲するようになります。
ダイエットをするためにケーキを我慢し、望んでいた容姿になったとしても、ケーキへの欲はまだ消えてないのです。
むしろ別の何かへの渇望に姿を変え、忘れた頃に自分が自分を苦しめる要因となって現れるのです。
自分の心の声に耳を澄まし、感覚を研ぎ澄ませ、見つけた自分の本来の姿を見つけ出し、
その本来の自分になっていくことこそが自分自身に勝つことではないかと思っています。

私は以前に素食をしていました。
肉食を止め、五葷(ごくん・ねぎ、にんにく、にら、らっきょう、あさつき)を断ち、
自分の体に入れるものを制限していました。
いわゆるオリエンタルヴィーガンという食生活です。
最初の1ヶ月は肉体的、精神的にも何も影響がなく、ただ自己満足感のみでしたが
1ヶ月を過ぎた頃からまず唇の色が薄くなり、貧血のような症状が出始め、
慌てて体に入れるものを見直して栄養バランスを整え生活しました。
半年が過ぎたあたりから、感覚が鋭敏になってきて、匂いに敏感になり、味の微妙な違いに気づくようになりました。
自分の体がちゃんと食べたものでできている実感ができましたし、体の仕組みについて観察ができました。
変化については食べたものや味の感覚だけではなく、そもそも自分に備わっている五感を感じられるようになり、
五感が自分を地球で生きていく上でのシグナルとして働いて守ってくれているんだと改めて思いました。
食べ物は美味しくあるべきという錯覚を持ち、ウマミという名の化学調味料がたっぷり入った食事を大量に消費し、
栄養が余った状態になったから太り、太ったから食べ物をガマンして容姿を気にする。
こんな生活をしていた頃は、自分自身が出すシグナルの五感をフル活用することもなく外部の情報に埋もれて自分を見失っていました。

人間本来の持つ能力があるんじゃないかと思い始めたのは、この五感を感じられるようになったからです。
例えば事故や生まれつき目が見えない人は、視覚を失っているから
聴覚や触覚が発達して視覚を補ってくれるし、
聴覚を失った人は、視覚や触覚が発達して補ってくれる。
生きていく上で必要な能力を、自分自身で発達させて勝っていくんです。

人間はなぜ生まれてきたのか。
自分は何のために生きているのか。
私はよくこれを考えます。
現代人は生きるためにお金や社会的立場がないと生きづらいためにわかりづらいのですが、
そもそも命が生まれてきて何を目指すかというのは生きることなので、
生きることを説明するためにあえて野生動物の一生を例えに出してみます。
生きることをしなきゃいけないことを生まれながらにしてわかっているから、
まず食事をする。
食事をするために必要なのは親。
親を見て学び、守られて大人になる。
お腹が空いたら狩りをし、食事をする。
狩りをするにも命がけだし、狩りをされる側のこともある。
必要だから食べるし、必要だから寝る。必要だから群れや仲間と生きる。
能力が衰えたら狩りをすることもできなくなり、やがて死ぬ。
これが生きることです。
人間でなければ生きるためだけの営みでいいのです。
人間だから考えたり、欲に振り回されたり、社会生活を送るために試行錯誤する。
自分自身という自我があるのは人間だけと仮定すると、
やっぱり勝てるのも負けるのも人間だけ。
負けると自殺という選択をするのも人間ならでは。

そもそも戦場において100万人に勝つことはすごいことです。
その価値観では自分自身に勝つことなんてちっぽけでしかないと感じます。
でも、勝つことってなんだろうってことです。
自分自身ってなんだろうってことです。

まずは自分自身の声をしっかり聞き、自分自身を見つけましょう。
そうしたら勝つことの意味もわかってくるでしょう。
決して他人からの評価の元での「勝つ」ではなく、
自分自身に打ち勝つこと。

悟りです。

悟りというものがどれだけ難しいかというお話。
でもまずはその第一歩は今すぐにでもできます。

さあ、始めよう。